12.改良復旧と表彰

 応急止澪め工事を終えた愛知県は、引続き海岸災害防止事業として工事を進めた。その工事が90%終った昭和34年9月26日に伊勢湾台風に見舞われた。施工済部分を除き、豊川や柳生川等を始め各所に13号台風を上回る被害を出したが、施工済の神野新田は被害を免れた。県は、伊勢湾等高潮対策事業に切換えて改良復旧工事を進めた。豊橋市では、北は浜新田から南は福住新田までの豊橋地区の延長約34kmの工事竣工を記念し、神野新田三郷地区の破堤現場で昭和39年(1964)4月15日に、神野新田土地改良区によって建設された「海岸復興の碑」の除幕式を挙げた。なお、裏面碑文に「欠潰口延長763m 水深(-)9m 最大流速5m/秒」とあるのは、この石碑の立つ三郷地域の第4号堤防の欠壊状況であり、神野新田ではこのほかに二回地域で113mにわたって堤防が欠壊した。「海岸復興の碑」は二回堤上にも建てられた。

 13号台風による愛知県下の被害の応急対策が一段落した昭和28年(1953)12月26日、愛知県は台風13号災害功労者表彰を、翌29年3月10日には建設大臣表彰が行なわれた。愛知県表彰では、表彰状が47の団体、54人の個人に、感謝状が170の団体、349人の個人に贈られた。神野新田関係は、次の通りであり、その功績は永久に讃えられなければならない。

 表彰された神野新田五郷自警団は当時総勢50名で役員は、団長花井二郎、副団長野場肇、会計杉江一男、同加藤慶一、ポンプ長大竹初三郎、水係長野場忠夫、鳶係 長塩野健作の皆さんであった。

 

表彰事績概要

 豊橋市消防団連合会

   本連合会は、台風第十三号に際し、さん下全消防団緊密な連携のもとに、海岸堤防、河堤の補強作業

  に従事し、神野新田町5号堤が決壊にひんするや、急援、これを防止すると共に、他方4号堤柳生運河

  決壊するに及び、各団相互協力、住民の避難誘導に敢斗し、以後潮止工事等災害の復旧に連日尽力した

  功績は顕著である。

 神野新田町五郷自警団

   本本団は、台風第13号に際し、全団員を招集、台風に対する万全の防ぎょ態勢をとり高潮に対処する

  もいに千数百米にわたる堤防がいつ水し、まさに崩壊せんとするや、直ちに豊橋市消防団の急援を得

  て暗夜決死的防ぎょ作業を敢行、ついに決壊防止に成功、全部落、耕地を安泰ならしめた功績は顕著で

  ある。

 般若典夫

  大正13年10月13日生

  豊橋市船渡町字船渡28

   氏は、台風第十三号来襲に際し、豊橋市南部消防団員 として水防作業に従事中、豊橋市神野新田二

  回海岸堤防 決壊し、同地内沖ノ島地区住民七名が危機にひんするを 発見するや、消防団員及び青年団

  員の協力を得て、団員 河合、岡野両氏と共に濁流の中に舟をこぎ出し、危険を 冒してこれを救助した

  功績は顕著である。

 河合芳一

  大正13年5月4日生

  豊橋市船渡町字船渡147

   氏は、台風第13号来襲に際し、豊橋市南部消防団員として水防作業に従事中、豊橋市神野新田二回

  海岸堤防決壊し、同地内沖ノ島地区住民7名が危機にひんするを発見するや、消防団員及び青年団員の

  協力を得て、団員般若、岡野両氏と共に濁流の中に舟をこぎ出し、危険を冒してこれを救助した功績

  は顕著である。

 岡野克己

  大正13年9月16日生

  豊橋市船渡町字高打場31

   氏は、台風第13号来襲に際し、豊橋市南部消防団員として水防作業に従事中、豊橋市神野新田二回

  海岸堤防決壊し、同地内沖ノ島地区住民7名が危機にひんするを発見するや、消防団員及び青年団員の

  協力を得て、団員河合、般若両氏と共に濁流の中に舟をこぎ出し、危険を冒してこれを救助した功績は

  顕著である。

感謝状贈呈

   豊橋市船渡青年団、豊橋市牟呂校区青年団、保安隊豊川駐屯部隊、保安隊第500建設群隊、豊橋市吉

  田方校区婦人会、石部太之助、井上庄三郎、大橋 広一、松井家次、佐藤正、柴田留五郎、杉江一男、

  豊橋市。

   昭和29年3月10日には、建設大臣による五郷自警団表彰が行われた。



復興之碑の建設当時(昭和39年)と牟呂小学校百年記念誌(昭和48年)