9.涙なくして見られぬ奮斗

 かくして止め・堤防締切は、一応の完成をみたが、その陰には、このような文章では、到底表現しえぬ涙ぐましい数々の苦闘があり、体験者の脳裏には、今なお鮮やかな記憶がある。不十分ながら、その様子を「災害記録」および「現場日誌」より拾ってみる。

 二十間川の嵩上げは、自衛隊員の奮斗によって10月2日に一応完了したが、10月3日の満潮水位からみて不十 分とみられたので、10月4日から補充作業を開始し、二十間川の夜警は引続き行った。夜警について、10月5日には「連日の作業により五郷町民相当疲れたるにより、テノ割曲りから火葬場まで牟呂町にて受け持つこととせり」とある。同じく5日「大潮の満潮、厳重警戒。5号の機械船は昼夜を分たず土俵満載、二十間川橋下に待機」「10月7日朝二十間川左岸堤火葬場附近1ヶ所洩水、直 ちに修理す。この日洩水6ヵ所」。10月9日の満潮時には、あと数cmに達して甚だ危険となり、一層補強したが、翌10日には土俵の間から海水がしみ出し、「堤防の保全、今や全く運を天にまかす様になった。五郷町民、自警団総出動。吉田方から応援を得て全力を尽くし防禦にあたる」とある。危ない綱渡りであったが、辛うじて切抜けたのであった。