7.応援・見舞

 神野新田の外からの応援は、上述のほかに、10月3日に市消防団員100名、10月4日に山吉田村大字黄柳野青年団15名牟呂消防団70名、10月10日に吉田方住民多数、10月12日から17日まで牟呂町自警団多数、10月25日には牟呂中学校男子生徒全員の応援があった。神野新田農民の出動は、三郷部五郷部二回部のそれ町内自警団青年団女子青年団婦人会など、記録に残っているだけでも、多い日には数百名が参加した。夜間作業もあった。発動機船や海苔舟も活躍した。夜警は被災直後から大潮のすぎる10月11日までおこなわれた記録がある。

 見舞激励も多くの人々が訪れた。記録されているだけ でも、五十音順で、大野佐長豊橋市長、落合一男豊橋市会議員、神野金之助、神野三郎、神野太郎、神野三男、建設大臣、重光葵改進党総裁、津島市議会議長、豊橋市議会議長、富田重助、中野四郎衆議院議員、福井勇衆議院議員、穂積七郎衆議院議員、松浦周太郎衆議院議員、森八三一参議院議員、八開村字江西青年団長、八木一郎の諸氏がある。このほかにも多くの人々の見舞激励があったが、輻湊を極めたとき故、記録洩れを諒とされたい。